今年の初めころから飛躍的なAIの発展によって、一切がそれによって置き換わるような話が出ていた。確かにAI技術は凄いのだが、世の中のすべてがそれで置き換わる事はない。ここの所、冷静になってAIを見る動きが出てきた。人間社会は、AIですべてがコントロールされるほど、単純ではないと言う事だろう。
10年前くらいだろうか?車の完全自動運転化へ向けたテスト走行が世界中で行われていた。現在、中国の一部でバスが自動運転で動いている言うが、他ではそいう話は聞かない。東京オリンピックで、少しだけ自動運転バスが走っていたらしいけれども、乗合バスではまだ実現していない。自動運転技術は、そう簡単に実現しないのではないだろうか。それだけ、運転する行為は、複雑なのだと思う。
今日本では、バスやタクシー、貨物トラックなどの運転手がかなり不足していると言う。また、建築や建設作業などでも職人や技術者が不足しているようだ。それは、10年、いやもっと前から、社会のあらゆるものがコンピューター化され、そうした人々が職を失うような話が繰り返されていた事に起因していると思う。
ここに来て思うのは、そう簡単に人間社会のいろいろなものがコンピューターに置き換わることはないと言う事である。カメラも自動化が進むだろうが、人間が操作しない自動化は定着しない。人間の手先は、予想以上に器用なもの。カメラの操作は元より、手足を使う事は労働の基本である。これを生かせない社会は成立しないと思う。
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